調査地点 S1
 

大山ロータリー周辺で採水を行っています

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グラフ1  right

 人の生活と河川
大山周辺は下水道が整備されていなく、各々の旅館や住宅は浄化処理槽を設置しています。
浄化槽が設置される前は、生活排水は河川へと流していたとされ、観光客の増加により水質への影響は深刻なものとなりました。
昭和55年頃から、保健所の指導もあり浄化槽の設置が行われました。現在浄化槽の普及率はほぼ100%であるとされています。
鈴川は、現在でも大山地区の人と密接な関係にあり、大山地区の水道水は鈴川の水を使用しています。
流域住民の生活排水が流れ込まないような上流で、水を引きこみ大山ロープウェー近くの浄水施設で水道水に変えています。
また、上流域に見られる特徴として、多くの段(堰)が作られています。上流域である、大山、子易地区では川の流速が速く、川の
流れが岸や河床が削られてしまう危険性があるため、このように多く の段(堰)を造り流速を緩める対策が必要となっています。

   連なった堰                            大山浄水場                       鈴川近くのお土産屋                  大山ロープウェー
観光1

 歴史と観光の地
大山は、伊勢原市が誇る観光名所として多くの観光客が訪れています。
大山が観光地として栄え始めたのは江戸の中期頃で、それまでは大山寺の修行僧などが修業、また地元の農民が阿夫利神社へ雨乞
いに行く等の神聖な地でした。
江戸の中期頃から旅が流行り始め、江戸から関所を越えずに行ける観光地として大山が注目され、多くの人が訪れました。
初めは信仰を目的とした旅でしたが、しだいにお土産や物見優山を目的とする旅人が増えだしました。
多くの旅人(観光客)が訪れた大山地区は宿坊街として栄えはじめ、大山への道は大山街道と呼ばれるようになり現在でも多くの観光客
が訪れています。当時は大山地区の下、子易地区まで宿坊などが連なったと言われていますが、現在では子易地区に宿坊等は見られません。
現在でも多くの歴史ある旅館が営業しており、このような歴史的な街並みが残っている宿坊街の数は少ないとされています。

大山には大山阿夫利神社が2社建てられていますが、この理由としては、明治時代に行われた神仏分離といわれる宗教政策が関わっています。
もともと大山には阿夫利神社と大山寺が建てられていましたが、神仏分離により一時期、大山寺は打ち壊され、その跡地に阿夫利神社の下社
が建てられました。大山寺は明治18年に再建されました。大山に阿夫利神社が2つある理由はこのような背景があるからです。

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